福岡県の小さな町で
生まれた私は、幼い頃から
祖母の手伝いをしながら
豆腐作りを見て育った。
その手触り、香り、
そして何よりも、
豆腐を食べる人々の笑顔が
私の心を満たしてくれた。
都会育ちの主人は、私と結婚し、
私の故郷に移り住んだ。
最初は戸惑いもあったが、
私の豆腐への情熱に惹かれ、
二人で「九州一の豆腐屋」を
目指すことを決意した。
私たちは、昔ながらの製法を守りつつ、
新しいアイデアも取り入れ、
自分たちの豆腐を作り始めた。
しかし、道のりは決して平坦ではなかった。
資金不足、地域の人々の古い慣習との衝突、
そして何より、自分たちの豆腐が
本当に人々に届いているのかという不安。
ある日、せっかく作った豆腐が、
思わぬアクシデントで全てダメに
なってしまうことがあった。
その日、私は涙が止まらなかった。
主人はそんな私を優しく抱きしめ、
「大丈夫、また一緒に作ればいい」
と励ましてくれた。
それでも、心の傷は簡単には癒えなかった。
そんな時、地域のお祭りの出店に誘われた。
最初は乗り気ではなかった私だったが、
主人に背中を押され、参加を決めた。
自分たちの豆腐を、
少しでも多くの人に
知ってもらいたいという
思いからだった。
祭り当日、私たちは心を込めて
豆腐を作り、並べた。
しかし、なかなか売れる気配がない。
途方に暮れていると、
一人の老人が近づいてきた。
「この豆腐、懐かしい味じゃ。
昔、ばあちゃんが作ってくれた豆腐に似とる」と、
老人はしみじみと語った。
その言葉に、私はようやく報われた気がした。
私たちの豆腐が、誰かの心に届いたのだ。
老人は、その豆腐を大事そうに抱えて、
笑顔で店を後にした。
その後も、私たちは様々な困難に直面した。
しかし、その度に、地域の人々や、
私たちの豆腐を食べてくれる
お客さんたちの温かい言葉に励まされ、
再び立ち上がることができた。
「九州一の豆腐屋」という目標は
まだ遠い道のりだが、
私たちは決して諦めない。
私たちの豆腐を通して、
人々に笑顔と幸せを届けたい。
その一心で、
今日も豆腐作りに励んでいる。