娘が初めての母の日を迎える少し前、
夫がなにやら秘密めいた様子で娘と二人、
コソコソと何かを作っていました。
まだ言葉もたどたどしい娘が、
一生懸命に何かをやろうとしている姿を見るのは、
親として何よりも微笑ましい光景でした。
私は、それが母の日のプレゼントだとすぐに気づきましたが、
あえて何も聞かずに、二人のサプライズを楽しみに待つことにしました。
そして迎えた母の日当日。
小さな娘が、少し緊張した面持ちで、
よちよちと私のところへ歩み寄ってきました。
その小さな手には、折り紙で作られた、
いびつだけれど一生懸命折られたことが
伝わってくる赤いカーネーションと、
クレヨンで描かれた、丸や線で構成された、
私だとわかるようなわからないような、
でも愛情たっぷりの絵が握られていました。
その瞬間、私の心に様々な感情が押し寄せました。
まず、娘が私のために時間をかけて準備してくれたことへの感謝の気持ち。
そして、まだ幼い娘が、私を想って何かを作ってくれたという事実への感動。
でも、それだけではありませんでした。
その小さなカーネーションと絵を見た時、
ふと、私が幼い頃に母に贈った、同じように
不器用な手作りのプレゼントを思い出したのです。
色画用紙で作ったメッセージカード、
庭の花を摘んで作った小さな花束、
そして、やはりクレヨンで描いた母の似顔絵。
母はいつも、私のたどたどしいプレゼントを宝物のように喜んでくれました。
娘が私にプレゼントをくれた時、
あの時、母が私に注いでくれた温かい眼差しや、優しい言葉が、
まるで昨日のことのように鮮明に蘇ってきたのです。
娘の小さな手から渡されたプレゼントは、
形こそ違えど、私が母に贈ったものと同じように、
純粋な愛情と感謝の気持ちが込められていると感じました。
それは、単にプレゼントの形が似ているというだけでなく、
親から子へ、そしてまたその子へと、愛情を表現する気持ち、
感謝の気持ちを伝えたいという温かい心が、
世代を超えて確かに受け継がれている証だと感じたのです。
娘のくれたカーネーションは、少し角が折れていたり、
糊付けが甘くて剥がれかかっていたりしましたが、
私にとっては世界で一番美しいカーネーションでした。
愛情は形を変えながらも、確かに受け継がれていくもの。
私が母から受け取った愛情を、今度は私が娘に注ぎ、
そしていつの日か娘もまた、その愛情を注いでいくのでしょう。
あなたにとって、心に残る母の日はありますか?