薄暗い照明が心地よい、とあるBARのカウンター席。
仕事の疲れを癒やしたくて、私は一人静かにグラスを傾けていた。
いつものようにウイスキーを頼むつもりだったけれど、
ふと目に留まったメニューに「季節のカクテル」の文字。
何かに導かれるように、それを注文してみた。
マスターは寡黙な職人のように、手際よくシェイカーを振る。
カラカラっという音が店内に響き渡る。
グラスに注がれたカクテルは、淡いピンク色に輝き、
まるで夜明けの空のようだった。
添えられたのは、見たこともない小さな花と、瑞々しい赤い果実。
一口飲んで、私は息を呑んだ。
それは、今まで味わったことのない味だった。
口にした瞬間、広がるのは、甘酸っぱく華やかな香り。
次に、舌の上で優しく溶けていく、幾重にも重なった複雑な味わい。
それは、今まで知らなかった果実の蜜のような甘さと、ほのかな酸味、
そして隠し味のスパイシーさが絶妙なバランスで調和していた。
喉を通る時の、優しく、そしてどこか切ない余韻。
日頃の仕事のストレス。人間関係。人生の厳しさ。
思い詰めていた私は、このカクテルに導かれたのかもしれない。
間違いなく、そのカクテルは、
疲れた体と心にじんわりと染み渡り、
張り詰めていたものをゆっくりと解きほぐしてくれた。
「いかがですか?」
マスターが静かに声をかけてきた。
「…言葉が見つかりません。こんなカクテル、初めてです」
私の率直な言葉に、マスターはほんの少しだけ微笑んだ。
「ありがとうございます。今日仕入れた、特別な果物を使いました。」
その一杯のカクテルは、単なる飲み物ではなかった。
それは、疲れた私の心にそっと寄り添い、
新しい感情を呼び起こすものだった。
今まで気づかなかった味覚の扉を開き、世界にはまだ、
こんなにも美しいものが存在するのかと、改めて教えてくれた。
BARを出て、夜の街を歩く。
心はさっきまでとは違い、ほんの少し軽やかになっていた。
あのカクテルの味と、マスターの優しい眼差しは、
今からの私をきっと励ましてくれるだろう。
カクテルの味。
それは…
まだ知らない自分に出会うための扉を開ける鍵
なのかもしれない。