「はーい、みんなもっとくっついて! そう、いい笑顔!」
写真館のカメラマンさんの声が響く。
毎年恒例の家族写真。
今年は私も社会人になったから、
なんだかちょっと新鮮な気持ちだ。
ぎゅうぎゅうに肩を寄せ合って並ぶ父と母、そして私。
ふと、隣にいるはずのない二人の影を探してしまう。
私の心の中には、いつも
おじいちゃんとおばあちゃんの姿がある。
二人とも私が小学生の時に亡くなったけれど、
その存在は今も家族の中心に、
暖かな光として残り続けている。
おじいちゃんはいつも、
いたずらっぽい笑顔で私を笑わせてくれた。
縁側で一緒に将棋を指したり、
畑仕事を手伝わされると見せかけて、
結局はおじいちゃんの昔話を聞く時間になったり。
おばあちゃんは、世界で一番優しい手で
おにぎりを作ってくれた。
どんなに落ち込んでいても、
おばあちゃんの作るご飯を食べると、
心がふっと軽くなるのを感じた。
この家族写真にも、もし二人もいたら、
どんなに賑やかだっただろう。
おじいちゃんはきっと、
変なポーズをしてカメラマンさんを困らせて、
おばあちゃんは
「もう、この人は!」って言いながらも、
口元はほころんでいたに違いない。
そんな想像をするだけで、
胸の奥がじんわりと温かくなる。
シャッターが切られ、一瞬の光が私たちを包み込む。
現像された写真には、
少し照れくさそうな父と、優しい眼差しの母、そして私。
当たり前のようにそこに写る両親の姿を見ていると、
感謝の気持ちがこみ上げてくる。
おじいちゃんとおばあちゃんが旅立ってから、
父と母はより一層、私たち家族を支え、守ってきてくれた。
私が小さい頃は、
毎日仕事で疲れているはずなのに、
寝る前に絵本を読んでくれたり、
休みの日は色々な場所に連れて行ってくれた。
思春期の頃は、
反抗ばかりしていた私を、
根気強く見守ってくれた。
大人になって、一人暮らしを始めて、
改めて両親の偉大さを実感する。
毎日美味しいご飯が食卓に並び、温かいお風呂に入れること、
困った時にいつでも相談できる人がいること。
その一つ一つが、どれほどありがたいことだったか。
「いつもありがとう。」
改めて言葉にするのは照れくさいけれど、
心の中では毎日そう呟いている。
おじいちゃんとおばあちゃんが繋いでくれた命のリレーは、
両親に受け継がれ、そして今、私へと繋がっている。
この家族写真は、単なる記録じゃない。
私たち家族の絆と、過去から未来へと続く愛情の証なんだと思う。
来年も、再来年も、この家族写真を撮り続けたい。
そして、いつか私も、この写真の中に、
大切な家族と笑顔で写っていたいと願う。