幕が上がる直前、袖で待つ噺家の胸中は、
まさに静と動が同居している。
「さあ、笑いをとるぞ!」
心の中では、この一言がこだまする。
しかし、それは決して力むような叫びではない。
むしろ、体に染み付いた習慣のような、自然な感覚に近い。
これまで稽古を重ね、何百回と繰り返してきた噺が、
今、目の前のお客様に届く。
その喜びと期待が、この言葉に凝縮されているのだ。
「今日の客席はどんな雰囲気だろうか?」
客席のざわめきや、幕の隙間から漏れ聞こえる声に耳を澄ませる。
お客様は、今日の演目に何を期待しているのか?
どんな層のお客様が多いのか?
瞬時にして、その場の空気を読み取ろうとする。
「あのクスグリは、ここで生きてくるはずだ。」
「今日のまくら(導入部)は、あの話から入ろうか。」
頭の中では、噺の展開がシミュレーションされる。
何度も演じてきた噺でも、
その日の客層や雰囲気によって、微妙に調整を加える。
まさに、ライブならではの醍醐味だ。
そして、いよいよ幕が上がる。
正面に広がる客席。お客様の顔が見える。
その瞬間、緊張は一気に解き放たれ、全身を駆け巡るのは、
ただ純粋な喜びと、高座への感謝の気持ちだ。
「よし、来た!」
心の中で、もう一度、そう呟く。
そこには、不安や迷いは一切ない。
あるのは、お客様を笑顔にしたいという一心。
お客様との一体感を感じる、この特別な瞬間に、噺家は生きている。
高座に上がると、まずは一呼吸置く。
「間」をとることで、お客様との間に、
目には見えない対話が生まれる。
「今日は、どんな笑いを届けようか?」
そう問いかけるように、お客様一人ひとりの顔を見渡す。
そして、噺の冒頭から、お客様の心を掴むための言葉を選ぶ。
最初の言葉、最初の「間」で、
お客様の興味を引きつけ、噺の世界へといざ込むのだ。
お客様の反応は、噺家にとって何よりの燃料となる。
些細な表情の変化、小さな笑い声、
そして、静かに耳を傾けるその姿勢。
それらすべてが、噺の進行を支え、噺家自身の表現を豊かにしていく。
幕が下りるまで、噺家は全身全霊を込めて、お客様と向き合う。
そして、幕が下りた後、客席から聞こえる拍手喝采こそが、
噺家にとって最高の報酬なのだ。
「さあ、笑いをとるぞ!」
この言葉は、噺家の情熱と、
お客様への感謝の気持ちが込められた、
魔法の言葉なのだ。