塩の匂いを孕んだ熱い風が吹き荒れる中、
大海原に二隻の船が相対していた。
「黒竜丸」は、その名の通り漆黒の帆を広げ、
荒波を切り裂く竜の如く進む。
船首には禍々しい龍の彫刻が施され、
船体には無数の刀傷が刻まれていた。
甲板に立つは、黒竜丸の船長、鬼の半蔵。
その顔には大きな刀傷が走り、
眼光は獲物を狙う野獣のようだった。
遥か彼方に見えるのは、宿敵「赤獅子丸」の真紅の帆。
夕陽を浴びて、血の色のように不気味に揺れている。
「野郎ども、準備はいいか!」
半蔵の低い声が、波の音に負けじと響き渡る。
「あの獅子野郎どもに、黒竜の爪痕を刻んでやれ!」
船員たちは雄叫びを上げ、
刀を抜き放ち、火縄銃を構える。
幾度となく九州の海で覇権を争ってきた赤獅子丸との
決着をつける時が来たのだ。
彼らの血は沸騰し、その目は炎を宿していた。
やがて、二隻の船は互いに大筒(おおづつ)の口を開いた。
轟音とともに放たれた鉄玉が、
木片と破片をまき散らしながら海面に炸裂する。
黒竜丸の砲手たちは、熟練の動きで次々と弾を込め、
赤獅子丸の船体に命中させていく。
しかし、赤獅子丸もまた、その名の通り猛々しい。
正確な砲撃が黒竜丸の帆を切り裂き、帆柱に傷を負わせる。
「半蔵様、このままでは不利にございます!」
副長の弥七が叫ぶ。
「わかっておるわ!」半蔵は獰猛な笑みを浮かべた。
「乗り込め! あの獅子どもに、直接挨拶をしてやろうぞ!」
黒竜丸は速度を上げ、赤獅子丸へと肉薄していく。
半蔵の号令で、船員たちは鉤縄を投げ、
両船は軋むような音を立てながら引き寄せられていった。
そして、激しい衝撃とともに両船が衝突すると、
半蔵は先陣を切って赤獅子丸の甲板へと飛び移った。
「命が惜しければ、刀を捨てろ!」
半蔵が、その大太刀を抜き放つ。
しかし、赤獅子丸の船員たちもまた、
幾多の修羅場をくぐり抜けてきた海の荒くれ者たちだ。
彼らの船長、隻眼の源太が十文字槍を構え、半蔵に相対する。
「ほう、半蔵。今日こそ貴様の鬼面を剥いでくれるわ!」
源太は唾を吐き捨てるように言った。
両船の甲板は、瞬く間に血と鉄の匂いで満たされた。
刀と刀がぶつかり合う金属音、火縄銃の火薬の匂い、
そして男たちの怒号と断末魔が入り混じり、まさに地獄絵図と化した。
半蔵は、その大太刀と脇差(わきざし)を巧みに操り、
次々と敵をなぎ倒していく。
彼の動きは素早く、そして冷酷だった。
一方、源太もまた、その名の通り
荒々しい戦いぶりを見せていた。
彼の十文字槍は重く、
その一撃は敵を粉砕するほどの威力を持つ。
二人の船長の戦いは、戦場の中心で激しく火花を散らした。
半蔵の大太刀が源太の腕を切り裂く。
源太は呻き声を上げながらも、
その十文字槍で半蔵の腹部を狙う。
半蔵は間一髪で躱したが、
彼の着物は切り裂かれ、わずかに出血していた。
「この程度か、半蔵!」源太は嘲笑した。
「吠えるな、犬め!」
半蔵は激怒し、渾身の力を込めて大太刀を振り抜いた。
源太はそれを十文字槍で受け止めたが、その衝撃で体勢を崩した。
その隙を逃さず、半蔵は大太刀の切っ先を源太の喉元へと突き出した。
「終わりだ、源太!」
切っ先が源太の首筋に触れようとしたその時、
源太は信じられないほどの速さで体をひねり、
半蔵の刃を避けた。
そして、彼の十文字槍が半蔵の脇差を打ち払った。
脇差は甲板に落ち、カランと音を立てる。
「貴様!」半蔵は怒り狂った。
しかし、その間に源太は体勢を立て直し、
半蔵の心臓めがけて十文字槍を突き出した。
半蔵は避けきれないと悟り、目を閉じた。
その時、一発の火縄銃の銃声が響き渡る。
源太の体が大きく揺らぎ、その十文字槍が海へと落ちる。
源太の背中には、血が滲んでいた。
黒竜丸の弥七が、火縄銃を構えて立っていた。
「半蔵様、ご無事ですか!」
源太は地面に倒れ伏し、その隻眼は虚空を見つめていた。
彼の死は、赤獅子丸の船員たちの士気を完全に奪った。
彼らは戦意を喪失し、次々と武器を捨てて降伏した。
半蔵は、落ちていた脇差を拾い上げると、それを再び腰に差した。
彼の顔には、疲労と勝利の入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。
海戦は終わった。
「帆を上げろ!」
半蔵の声が、静かになった甲板に響き渡る。
「さあ行くぞ!」
半蔵の胸には、宿敵を討ち果たした満足感と、
そしてどこか寂しさのようなものがあった。
それは宿敵であり、また同じ海上を彷徨う友への
確かな感情だった。
黒龍丸の海の荒くれ者たちは、
血に染まった波を切り裂き、
新たな航海へと静かに出発した。