春まだ浅い頃、由緒ある老舗和菓子屋
「花月堂」の店先には、今年も美しい桜餅が並んでいた。
八十路を越えた店主の一郎は、
ショーケースに並んだ桜餅を眺めながら、
遠い昔の記憶を辿っていた。
一郎がまだ幼かった頃、花月堂は彼の祖父が営んでいた。
当時、花月堂の桜餅は春の訪れを告げるとして、
地域の人々に大変愛されていた。
一郎は幼いながらも、祖父が一つ一つ丁寧に
桜餅を作る姿を見るのが好きだった。
特に印象に残っているのは、祖父が「この桜餅は、ただのお菓子じゃない。春を待ちわびる人々の心を癒し、新しい季節への希望を与えるんだ」と、優しく語ってくれたことだ。
しかし、戦争が始まり、店の存続も危ぶまれる時代が来た。
食料が乏しくなり、甘いものは贅沢品となった。
花月堂も休業を余儀なくされ、祖父は桜餅を作ることができなくなった。
幼い一郎は、寂しそうに閉ざされた店の戸を見る祖父の背中を、今でも鮮明に覚えている。
戦争が終わり、再び桜餅を作れるようになった時、
祖父は変わらぬ情熱で生地をこね、餡を包み、桜の葉を巻いた。
その年の桜餅は、いつも以上に人々の心を温かく包み込んだという。
それは、単なる甘味ではなく、困難を乗り越え、
再び訪れた平和と希望の象徴だったのだ。
一郎は、祖父から受け継いだその精神を、今も桜餅作りに注ぎ続けている。
一つ一つ丁寧に作られた桜餅には、花月堂の歴史と、
人々の心に寄り添う和菓子の温かさが宿っている。
「今年も、桜餅が多くの人々の心を和ませてくれるといいな」
一郎は、そっと桜餅に触れながら、静かにそう呟いた。
彼の作る桜餅は、ただ美味しいだけでなく、
世代を超えて受け継がれる心と、
人々の記憶に深く刻まれる特別な存在なのだ。
「ママ!あのピンクのおもち、きれい!」
「本当だね。きれいな桜餅。」
「いらっしゃいませ。」
「桜餅をひとつ、いただけますか?」
「ありがとうございます。」
「素敵なお店ですね。」