「頼む、誰か!」「はぁ、はぁ……」
監督の枯れた声が、容赦なく照りつける
夏の太陽の下、グラウンドに響き渡る。
僕たちサッカー部は、残り5分で1点ビハインド。
選手たちの息遣いは荒く、疲労困憊の様子だった。
僕はベンチで、ただ祈ることしかできない。
勝利への執念と、どうすることもできないもどかしさが、
僕の胸の奥で渦巻いていた。
その時だった。
「小林!アップだ!出るぞ!」
信じられないことに、僕の名前が呼ばれた。
声の主は監督。
まさか、この土壇場で僕がピッチに立つなんて。
現実感がなく、夢の中にいるような感覚だった。
隣にいた控え選手も、目を丸くして僕を見ている。
レギュラーの星野が、相手選手との接触プレーで倒れ込んだのだ。
担架で運ばれていく星野の苦痛に歪んだ顔と、
憔悴しきったチームメイトの顔を見て、
僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
(僕に、何ができるだろうか?)
「小林!トップ下だ!積極的に仕掛けろ!」
監督のゲキが飛ぶ。
慣れないポジションに戸惑いながらも、
僕はピッチの中央へ走った。
心臓がバクバクと音を立て、足が震える。
ユニフォームの背番号「15」が、やけに重く感じられた。
試合再開のホイッスルが、僕の耳元でけたたましく鳴り響く。
相手チームの猛攻が続き、ボールは自陣をさまよっていた。
胃が締め付けられるような緊張感の中、
僕はただ必死にボールの行方を目で追っていた。
その時、ディフェンダーがクリアしたボールが、
まるで僕に吸い寄せられるかのように足元に転がってきた。
その瞬間、僕の中で何かが弾けた。
これまで経験したことのない、
研ぎ澄まされた感覚が全身を駆け巡る。
まるで、スローモーションの世界にいるかのように、
周囲の時間がゆっくりと流れ始めた。
足に吸い付くボール。
僕の視界には、ゴールまでの道筋がまるで光の線のように見えた。
ドリブルのリズムは、これまで感じたことのないほど心地よく、
僕の体はまるでボールと一体になったかのようだった。
相手選手たちの動きが、なぜか手に取るようにわかる。
彼らの重心移動、次の動きの予測。すべてがクリアに見えた。
一人、また一人と相手選手を抜き去る。
最初のディフェンダーは、僕のフェイントに簡単に引っかかった。
二人目のミッドフィルダーは、僕の加速についてこられない。
無我夢中でボールを追い、相手ディフェンダーを次々にかわしていく。
まるで、ボールが僕を導いているかのような感覚だった。
「いけるぞ、コバ!」
チームメイトの声が、遠くから聞こえた…と思う。
その声が僕の背中を押し、さらに加速させた。
最後のディフェンダーを華麗なルーレットでかわし、
気がつけば、僕はたった一人で5人もの選手を抜き去っていた。
目の前にはゴールキーパーだけ。
僕は冷静に、しかし力強く右足を振り抜いた。
ボールは一直線にゴールネットに突き刺さる!
「ゴォォォォール!!!!」
割れんばかりの歓声が、僕の耳に飛び込んできた。
電光掲示板の残り時間は、あとわずか。同点弾!
ハッと我に返った僕は、
信じられない気持ちで、両手を突き上げていた。
チームメイトが僕のもとに駆け寄り、抱きかかえられる。
興奮と感動で、視界が涙で滲んだ。
あの日の試合は、僕にとって忘れられない一日となった。
なぜなら、あの一瞬の出来事が、
僕の人生を大きく変える奇跡の始まりだったのだから。