天の川を挟んで暮らす織姫と彦星は、
年に一度、七夕の夜にだけ
会うことを許されていました。
しかし、彼らの心には長年、深い溝が横たわっていました。
織姫は、彦星が自分の機織りの腕前ばかりを評価し、
自分自身の存在を愛していないのではないかと感じていました。
「私の価値は、この布でしか示せないのかしら…」
彼女の心は常に寂しさに苛まれていました。
日々の機織りに没頭するほど、その寂しさは募るばかりでした。
一方、彦星もまた、織姫の輝かしい機織りの才能に圧倒され、
自分は彼女に釣り合わないのではないかと感じていました。
「俺の仕事は、たかが牛の世話だ。彼女の美しい織物に比べたら…」
彼は、織姫が自分よりも機織りを優先し、
自分への愛情が薄れているのではないかと恐れていました。
言葉足らずな彼は、その不安を口にすることもできませんでした。
今年の七夕も、二人は天の川に架かる鵲の橋の上で再会しました。
しかし、いつものように言葉は少なく、視線はどこかぎこちないままです。
「今年の布も、見事に織り上がったね」
彦星は、精一杯の褒め言葉を絞り出しました。
織姫の胸に、またもや寂しさが込み上げます。
「やはり、私自身を見てくれているわけではないのね…」
彼女はうつむき、返事をしませんでした。
その沈黙に、彦星の心は冷えていきました。
「やはり、俺の言葉は届かないのか…」
彼は、もう話しかける気力さえ失いそうでした。
その時、一陣の風が吹き、
織姫の織った布の端が、彦星の手にそっと触れました。
その瞬間、彦星は、いつもは完璧に整えられた
その布の端に、微かに乱れた糸を見つけました。
それは、彼女がどれほど心を込めて、
そして急いでこの布を織り上げたかを示すかのような、
小さな不揃いでした。
彦星は思わず、その糸を指でなぞりました。
「織姫…この糸は…」
織姫は驚いて顔を上げました。
まさか、自分の失敗を彦星が指摘するとは。
しかし、彼の瞳には非難の色はなく、
むしろ何かを慈しむような温かさがありました。
「これは…あなたに早く会いたくて、つい急いでしまって…」
織姫は、自分の胸の内を初めて明かしました。
彦星の心に、温かい光が差し込みました。
「そうか…俺もだ。お前に会いたくて、つい今日の仕事も早く切り上げてしまったんだ」
彼は、いつもは言えない自分の不器用な愛情を、
ようやく口にすることができました。
二人の間に、初めて本当の言葉が交わされました。
互いの心の中にあった不安や誤解が、静かに溶けていきます。
「あなたはいつも、私の織物を褒めてくれたわね。でも、本当は、あなたが私の隣にいてくれること、ただそれだけで十分なのよ」
織姫は、潤んだ瞳で彦星を見つめました。
「俺は、お前の織る布も好きだ。でも、それよりも、お前が笑っている顔を見るのが一番好きなんだ」
彦星は、織姫の手をそっと握りました。
七夕の夜空には、満点の星が輝き、
天の川は二人の愛を祝福するように、
一段と明るく瞬いていました。
お互いの心に秘めていた真実の愛が、
ようやく通じ合ったのです。
それは、織りなされた布の美しさでも、
成し遂げた仕事の成果でもなく、
ただお互いの存在そのものを大切に想う、
ささやかながらも確かな愛でした。
この日を境に、二人は年に一度の再会を、
より一層心待ちにするようになりました。
そして、互いに支え合い、認め合うことの大切さを、
天の川の彼方から見守るすべての人々に
伝えているかのようでした。