「おはよう。今日も暑いなあ。」
「ご飯作ってあるわよ。」
「ありがとう。」
「体調は大丈夫かしら?」
「ああ、なんとか。」
「それはよかった。」
「久しぶりにお参りにでも行くか?」
「そうね。」
私たちは今年で二人とも卒寿をむかえる。そう。90歳を迎えるの。
私たちは静かに朝食を食べる。
若い頃とは違って、言葉は少ないわ。
それでも充分会話しているの。
お互いの言葉には感謝と互いを気遣う思い、理解し合う思いが込められている。
私たちは多くの苦労を共にしてきた。
困難な生活のやりくり。子どもの学費。職場との別れ。友との別れ。
私たちは多くの喜びを共にしてきた。
初めて行った海外旅行。結婚。子供の誕生。孫の誕生。
私たちは特別な瞬間や辛かった時期を、共に乗り越えてきた。
その時々は必死だったけれど、今思えばその時間がとても幸せ。
言葉はなくとも、私たちはお互いの存在が大切であることを理解し合っている。
最近は夜も暑いなあ。
主人がそう一言いうと、私は氷枕を用意する。
最近は体力が衰えてきたわ。
私がそう一言いうと、主人は買い物を手伝ってくれる。
たとえ小さなことであっても、私たちは自然と支え合っているのかも。
孫たちは「こんなのもわからないの?」と電話を触る。
ああ。スマホというのかしら。私もラインという言葉だけは知っているわ。
子どもたちは「余計なことを」とご近所での会話に文句を言うわ。
今は何でもかんでも話すのはよくないみたいね。
主人も私も、いつも子どもや孫に怒られっぱなし。
それでもね。私たちの会話には、共に歩んできた時間や経験が詰まっているの。
歳を重ねた経験だけは子どもたちにも負けないわ。
「そろそろ行こうか。」
「はい。」