popoのブログ

超短編(ショートショート)

一歩

時計の針が刻む時間は、

彼女にとって永遠に続くように思えた。

静まりかえった部屋の中、

息をするのも憚られるような緊張感が張り詰めている。

わずかな物音にも神経が尖り、心臓が鼓動を早める。

 

また始まったのか。

 

足音が、ゆっくりと、ゆっくりと、

そして確実に彼女の部屋へと近づいてくる。

心臓が鳴り響く音が、その足音に掻き消されそうになる。

逃げ出したい。この部屋から、この家から、この状況から。

だが、足はすくんで、一歩も動けない。

 

「もう寝る時間だ。」

 

低い声が、彼女の鼓膜を打ち抜く。

 

「なんで黙ってんの?何か言えよ」

 

彼の言葉は、まるでナイフのように彼女の心を切り裂く。

低く、冷ややかな声が響く。

それは、かつて愛したはずの声だった。

今は、ただ恐怖を煽るだけの音に変わっていた。

 

彼女はベッドに横になり、薄い布団にくるまる。

まるで自分の存在を消し去ろうとするかのように。

瞼を閉じても、目に焼き付いて離れない彼の顔が浮かぶ。

殴られたあざ、蹴られた痛み、

そして何より、心に刻まれた深い傷。

 

夜が更けるにつれて、不安は募っていく。

いつ、彼が再び暴力を振るってくるのか。

それは、彼女にとって、

いつ訪れるかわからない悪夢のようなものだった。

 

日中は、なんとか平静を装い、家事をこなす。

笑顔を見せ、普通に会話をする。

しかし、それは仮面をかぶっているようなもの。

心の奥底では、常に恐怖と不安に怯えている。

 

誰にも相談できない。

恥ずかしい。情けない。

そんな思いが、彼女を孤立させていく。

家族や友人に相談すれば、

彼に責められるかもしれない。

家を出ていけば、子どももいるし、

経済的に自立できるか不安だ。

 

一日中、四つの壁に囲まれ、

孤独と恐怖に打ちひしがれる。

 

「お願い。子どもの前だけではやめて」

 

彼女はたった一言の願いを、

心の中で常に練習している。

 

時折、窓の外を眺め、

いつかこの状況から抜け出せる日を夢見る。

 

そんな中、スマートフォンを手に取ると、

画面にはDV相談の文字。

インターネットで見つけた支援団体。

警察の相談窓口もある。

 

「ママ…」

 

もしかしたら、助けを求めれば、

何かが変わると一縷の望みを託す。

 

それでも、一歩を踏み出す勇気が出ない。怖い。

でも、このままではいけない。この子の為にも。

 

「いこ」

 

細く小さな声が彼女に勇気を与えた。

彼女は小さな体をギュッと抱きしめ決意した。

 

相談に行こう

 

小さな一歩だが、それは彼女にとって大きな勇気だった。

 

あなたは一人ではありません。

相談することで、状況は必ず変わります。

どうか、一人で悩まないでください。

 

彼女は、その画面をずっと眺めていた。