薄暗い畳工場の中で、息子は古びた畳を手に、
物言わぬ父親を見つめていた。
かつては活気に満ちていた畳工場は、
今では埃っぽい機械と、積み上げられた畳が
静かに佇むだけの空間となっていた。
「お父さん、もう畳屋はやめようよ。」
息子の言葉に、父親は静かに畳の目を見つめた。
父親の目は、まるでこの畳にすべての想いを込めたかのように、
優しく、そしてどこか寂しそうだった。
「この畳には、俺たちの歴史が刻まれているんだ。」
父親の言葉に、息子は自分の幼い頃を思い出した。
夏には、工場の軒先で寝転がり、
夜空を見上げながら父親と話をした。
冬の朝には、父親が淹れてくれた熱いお茶を飲みながら、
畳の編み方を教わった。
畳の上でのそれらの記憶は、息子にとってかけがえのない宝物だった。
そして、この店は祖父から父親が譲り受けた店だった。
「わかってるよ。」
「でも、もう時代が違うんだ。
畳なんてほとんどの人が使わない。」
息子の言葉に、父親は静かに頷いた。
父親もわかっていた。
畳屋は、昔のように栄えることはないだろう。
それでも、父親には、
どうしても切り捨てられないものがあった。
それは、畳に対する情熱、そして、
この畳工場で過ごした日々への愛着だった。
「昔は、この畳の上で家族みんなで団欒したものだ。
畳には人の温もりが宿っている。その温もりを守る。
それが、俺の仕事なんだ。」
父親の言葉に、息子は心が揺れる。
「でも、お父さん。このままじゃ…」
「わかっている!だが簡単に諦めるわけにはいかないんだ」
息子は父親の仕事に対する情熱を
理解できないわけではなかった。
しかし、現実問題として畳屋を続けることは難しいと感じていた。
「お父さん!新しいことを始めてみないか!?」
その息子の決意のような強い言葉に父親は驚いた。
「あ、新しいこと?」
「ああ!例えば畳の材料を使った商品を作るんだ!
あとは畳の編み方を教える教室とか!
この畳屋で学んだことを活かすことができるはずだ!
お父さんしか、僕たちだから、出来ることがある!」
父親は決意に満ちた息子の表情を見つめる。
息子の目は輝いていた。
「お父さん!一緒にやってみよう!」
息子は父親の手を握りしめた。
その日から、二人は新しい一歩を踏み出した。
畳屋は昔ながらの伝統を守りながら、
新しい時代に対応する動きを始めた。
やがて、少しずつだが畳屋は活気を取り戻した。
商品を買いに来る人。教室に通う人。
人の出入りが、二人に再び情熱を注いだ。
ある夕暮れ時。
二人は完成したばかりの畳の上に並んで座った。
「お父さん。ありがとう。」
息子の言葉に、父親は微笑んだ。
「お前が居てくれたから、ここまで来れた」
「こっちこそ、ありがとうな。」
熱いお茶を、そっと置いて二人は抱き合った。