観光客や地元の人々が行き交い、
老舗の店が軒を連ねる。
そんな仲見世通りの一角に、小さな寄席「楽今亭」があった。
楽今亭は、落語好きが集まる、知る人ぞ知る名店だ。
舞台は簡素で、客席は数十席ほどしかない。
しかし、その舞台から生まれる笑いは、何物にも代え難い。
ある日、一人の老人は楽今亭を訪れる。
老人は、落語を聴くのが何よりの楽しみだった。
少年時代の老人は、貧しく、娯楽もなかった。
しかし、近所の寄席で落語を聴くと、
辛いことも忘れられるような幸せな気持ちになった。
落語は、老人に希望を与えてくれたのだ。
老人は少年時代を振り返りながら、
人生の喜びと悲しみを思い出していた。
ある日、一人の青年は楽今亭を訪れる。
青年は、落語を聞くのが初めてだった。
青年は至って普通の若者だった。
友達とカラオケ行ったり、飲みに行ったり。
普段はバイトをしていて、毎日は充実していたが、
「これ」といった趣味もなかった。
正直、落語は何だか難しそうだ。
勝手にそう思っていた。
客席には、老若男女、様々な人が集まっていた。
皆、落語家の言葉に耳を傾け、時には笑い、
時には涙を浮かべていた。
その時の噺は、まるで浅草寺そのもののように、
温かくて懐かしく、そしてどこか切ない。
そんな噺だった。
客は、いつの間にか物語の世界に引き込まれていた。
浅草寺で売っている人力車の車夫、
仲見世通りで煎餅を焼く老婆、
雷門の前で記念撮影をする観光客。
落語家の言葉によって、浅草寺周辺の風景が鮮やかに蘇る。
噺が終わると、客席からは大きな拍手が湧き起こった。
青年は、心晴れ晴れとした気持ちになっていた。
「これが落語かぁ。」感動で思わず言葉が出た。
「そうだよ。楽しいだろう。」
隣にいた老人は、にこやかに青年に声をかけた。
楽今亭は、今日も多くの観客を魅了している。
落語は、人々の心を繋ぎ、温かい笑いを与えてくれる。
そんな、かけがえのないものなのだ。