始めたきっかけは何だったかな。
物心がついたころ俺の手にはいつも白いゴムボールがあった。
マンションの駐車場には大きな壁があり、俺の放課後は決まってそこでボールを投げる。
母は働きに出かけ、父はいない。
日が落ちるころ白い車がやってくる。母の帰宅だ。
「またやってるの?あぶないわよ。」
母は駐車場にいる俺に注意する。
俺は無言で母と一緒に家へと帰る。こんな毎日を繰り返す。
学校でも目立たない俺は、校舎で遊ぶみんなを眺めるだけで輪に入ることはない。
その日もいつものように放課後、駐車場に向かった。
ランドセルを下ろして白いゴムボールを取り出す。その時だった。
「一緒にやろうよ!」
同じマンションに住む同級生だった。
「ほら。これ。」ポンと投げられたそれは、グローブだった。
「俺の使い古しだけど2つあるから。」そう言う彼の表情は微笑んでいた。
その日から、俺の相手は壁じゃなくなった。
白いゴムボールはある日から軟式ボールに変わっていた。
彼は本やテレビで見たと言って、ボールの握り方を教えてくれた。
「ここに指かけるらしいよ。」「投げるとき少しひねる感じで。」
彼との会話はいつも楽しかった。
「もっと足上げた方がかっこよくねえ?」「こっちの方が投げやすいね」
そう話しながら俺たちはボールを投げ合った。
ある日、俺は部屋から外を眺めていた。ザーザー。その日は大雨だった。
俺は雨の日が嫌いだった。(ああ。キャッチボールできないなあ。)
仕方なくベッドに横になるとそのまま眠ってしまった。
目が覚め慌てて時計を見ると、夜8時を回っていた。
母はまだ帰っていなかった。俺は少し焦った。
何かあったのかな。いつもならもう帰って夕食を作り終える時間。
時間が経つにつれ、どんどん不安になる。
俺は家の中をうろうろする。落ち着かない。
時間は9時に差し掛かろうとしていた。
ガチャ。俺は走って玄関に向かう。
「ごめん遅くなったあ」
そこには少し雨に濡れ両手に買い物袋を持つ母の姿があった。
母は俺の顔を見るなり、徐に買い物袋をあさった。
「はい。これ。」手渡されたのは新しいグローブだった。
「誕生日おめでとう」
母の帰りが心配で、自分でも忘れていたが、俺はその日10歳の誕生日だった。
俺はその時の出来事を今でもはっきり覚えている。
そして俺の部屋には今でもそのグローブが大切に飾ってある。
俺が今でも野球を続けているのは、その時の母の想いが後押ししてくれるから。
そしてその時、母にもらったグローブは2つだった。