「実際死にたくないと思わなかった。」
これはある老人の話。
居酒屋でたまたま出会った老人は続けてこう言う。
「ただ敵隊に体当たりする。敵戦艦を自分がやっつけてやる。」
「勇ましく死ぬことが名誉だと使命感に燃えていた。」
老人は特攻隊だった。
「たまたま俺は生き残っちまったがな」
「知り合いはみんな死んじまったよ。」
「俺は悔やんだ。なぜ俺だけ生き残ったんだって。家族のもとに帰るのが恥ずかしかった。」
自ら死に向かっていく。
おれには考えられなかった。
仮にその時が来ても、おれは必至で拒むだろう。
「なんでそんなに?」
「バカ!当時はみんなそうだ!最後の晩餐はメシいっぱい食って、家族には喜んでくれって手紙書いてな。それで誇りをもって突っ込むんだ。」
「でもそれじゃあ・・・」
「ああ。犬死にだって言われたさ。犠牲になっただけだろってな。哀れみが俺には苦しかった。俺だって本気で行く気だった。たまたまお呼びが来なかっただけだ。」
「じゃあ今は不幸せ?」
ハハハ!「バカ言え!最高に幸せだ。生きてるってだけでたくさんの楽しいことがあった。今こうやって酒飲めるのも、生きて帰ったからだ。」
おれは話を聞いて、環境の恐ろしさを感じた。
死ぬことが当たり前の日常が作られれば、人の思考は変わってしまうのかと。
当時は志願した者も多かったという。
今の時代だからそんなことは起こりえない。
そうじゃない。
たとえ同じ過ちは行われなかったとしても、社会や環境は人を変える。
違ったカタチで。
「あの頃はどうかしてたんだなあ。」
「今あいつらに聞けるなら本当にそれで良かったか?って俺は聞きてぇなあ。」
「本心か?どんな気持ちだったか?ってな。」
老人はグッと酒を飲む。
「ああ神鷲の肉弾行」
ハハハ!
「いいか小僧。命を粗末にするんじゃねえ。」