popoのブログ

超短編(ショートショート)

善意が生んだ悪意

彼は、ごく平凡なサラリーマンだった。

安月給で贅沢もできない。

そんなある日、彼は帰宅途中、

公園のベンチに腰掛けた。

「はあ。今日も疲れたな。」

と缶コーヒーを一本飲む。

ガサッ。

足元で音がした。

彼はベンチの下を覗き込んだ。

するとそこには、紙袋が。

恐る恐る中を確認すると・・・

大金が入っていた。

最初は誰かのいたずらだろうと考えた。

だが何度確認しても、間違いなく本物の札束。

一瞬、このお金を自分のものにしようと考えた彼。

しかし、彼は次第に怖くなり、良心に従い、警察に届けた。

 

彼は、思わぬ形で裏切られる。

 

彼の行動は、地元のニュースで大きく報道された。

名前と顔写真は知れ渡り、

あっという間に全国ネットで報道された。

 

彼のもとには、金銭を要求する脅迫や

誹謗中傷のメッセージが殺到するようになった。

一部のメディアは、お金を見つけた経緯を歪曲し、

まるで宝くじに当選したかのような報道をする。

その結果、彼は「怠け者」と言われるようになった。

「仕事もできない落ちこぼれのくせに。」

こんな陰口も聞こえてきた。

 

彼は、自分が拾ったお金が、

こんな災いを招くとは思ってもいなかった。

そして次第に精神的に追い詰められ、

仕事を辞めざるを得なくなる。

 

「善意が生んだ悪意」

彼はそう思った。

 

報道機関は、センセーショナルな見出しや

映像で視聴者の興味を引こうとするあまり、

プライバシーや安全を軽視していた。

 

この事件は、報道の在り方について、重要な問いを投げかけた。

 

真実を伝えるという使命を持つ一方で、

個人情報やプライバシーの保護にも配慮する必要がある。

 

センセーショナルな報道は、

視聴者の関心を集めるかもしれないが、

同時に、個人の人生を破壊する力も持っている。

 

その後はといえば…

 

家族にも迷惑がかかり、精神的に追い詰められた彼は、

ついに自ら命を絶ってしまったのだ。

 

その日のNEWSでは手のひらを返したように、

誠実さ、真摯な対応、行き過ぎた報道と

この悲劇を悲しそうに語った。

 

「善意が生んだ悪意」

 

真実とは何か、報道の責任とは何か。

 

情報社会において

個人情報やプライバシーに関する問題は、

複雑かつ繊細な問題だと改めて感じている。